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by jazzman23
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新井満の出身は半島か?

激励ライブの報告の予定が悲しいお知らせになってしまいました。
本日未明3時40分頃、ビデオの激励ライブを聞きながら永眠しました。享年41歳2ヶ月でした。


彼との出逢い
国道51号線を成田から佐原に向かい、大栄インターを過ぎて東総有料道路に入ると、料金所を通過して4キロ程の右側にウッドストックと言う店が有ります。ウッドストック・フェスティバル(1969年8月15日(金)から17日(日)までの3日間、アメリカ合衆国ニューヨーク州サリバン郡べセルで開かれた、ロックを中心とした大規模な野外コンサート)をリアルタイムで経験した私は、迷う事無くその店に入っていきました。今から8年前の事です。

そこは元々地元の工務店が事務所として使っていた建物で、いつしか空き家になっていた建物でした。実はそこを事務所にしたいと思っていた私は
「やられた!先を越されてしまった。いったいどんな奴が始めたんだろう」
と思う気持ちも有ったんです。

中に入るとごく普通の事務所後にテーブルと椅子を並べ、ドアーは取っ払ってはいるけど3部屋に別れており、壁にエレキギターが3本かけられ、使い古したマーシャルのアンプが一台置いてありました。
そこはレストランでした。食事メニューとドリンクが書いてあった事を覚えています。
その日はコーヒーを注文しただけでした。

店の雰囲気が気に入り何度か通う内に、ここの経営者は現役の俳優やミュージシャン達で、交代で店の運営をしていると言う事が分かって来ました。

店長の望月さんと話をしたのは初めて店に行った時から3ヶ月ほど経ってからではないかと思います。
「ここの壁が無かったらなんとかライブの出来るスペースが出来るんだけどな〜」
「借家なので大家さんに聞かないと出来無いんです」
と言う答えでした。

他にも音楽の好きなお客さんが何人も通っていたらしく、それから暫くして邪魔だった壁はきれいに取り除かれ、ぎりぎりライブの出来るスペースが出来ました。

暫く行かないうちに更に店内が変わり、シャワールームが無くなっていました。そこが現在のステージです。今もステージ横のレバーを捻れば温水シャワーがちゃんと出るようになっていますが、多分日本国内に数有るライブハウスの中で、ステージでシャワーの使えると言う店はウッドストックだけでしょう。お店に立ち寄った時には是非確認して下さい。

私の所属するバンドは8年間で一度だけウッドストックでライブをやりました。
今回の激励ライブには過去ウッドストックに出演したバンドの皆さんが出演してくれましたが、スケジュールの都合でどうしても出れなかったバンドも沢山有りました。
皆さんの気持ちは望月さんに届いていると思います。

彼との思い出は数多く有ります。

毎週金曜の夜9時から「生オケナイト」と言うイベントを始めました。ウッドストックの常連有志が演奏する伴奏で、普段は聞くだけのお客さんに、思いっきり好きな歌を歌ってもらい、スター気分を味わってもらおうと言う企画です。

2年前の事です。金曜の夜いつものようにバンドメンバーに加わりベースを演奏していました。
常連客の一人が沖縄旅行のお土産に泡盛を持って来たのです。みんなで飲んでみようという事になり普段飲まない私ですがうっかりシングルグラスに注いだ泡盛を飲んでしまったのです。その30分後、心臓のアタックが起こり店で倒れてしまいました。心筋梗塞です。
直ちに救急で搬送。緊急カテーテルの処置。失敗!

私自身は死を覚悟しました。ICUに一週間いて生死をさまよいました。落ち着いて来たので一般病棟に移りました。

何とその翌日にウッドストックの望月さんと谷沢さんがお見舞いに訪ねてくれたのです。
「分かった!退院して必ず復活するぞ」そのとき決心したのです。
検査の結果動脈は閉塞したままですが生きている動脈から新しい動脈が成長し、心筋に酸素を届けていて、心筋の壊死が止まっている事が確認出来約1ヶ月振りに退院する事が出来ました。入院中は曜日の感覚が無くなってしまいました。
「ところで今日は何曜日?」
家に戻って1ヶ月振りの風呂に入り女房に聞きました。
「金曜日よ。丁度4週間入院していたのね」
「・・・金曜・・・じゃあ行かなくっちゃ!」
「えっ、ウッソウ!本当に行くの?」

その日から復活を果たしました。

彼との約束なので金曜は必ずウッドストックにベースを抱えていきます。勿論これからも毎週です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
魂の存在を確信しているので、きっと望月さんは千の風になって世界中、いや、宇宙中を自由に旅するのだろうな〜

と思って新井満氏のサイトを覗いてビックリです。

何と!!!!!・・・千の風になっては商標登録済になっていたのです!!!!!
勿論、新井満氏の権利として、・・・・・
この曲のクレジットで、作詞者は不肖とされているが、実は原典を記したと言われている人ははっきりしている。その人の名はメアリー・E・フライ(Mary Elizabeth Frye)といい、2004年9月15日に98歳でこの世を去っている。
とばかり思っていたのですが、これはいったい何とした事でしょうか?

私には偏見が有りますが、新井満氏の出身地は新潟と言う事だそうです。
それでは、その前はもう少し西の方の半島の出身ではと勘ぐってしまいました。

勿論、偏見です。(きっぱり!)

喜多見 梁右
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by jazzman23 | 2007-03-06 17:23 | 独り言